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【理屈じゃなく、始めたくなりました。直感です、本能です。】


呼夢三線広め隊
茨城県 島 幸弘 Webサイト
呼夢三線広め隊

2014年1月私は57歳になりました。 60歳の還暦まであと3年、これからの人生をどうしていくか!この3年で最終的な流れが決まってくるのではないか?そんな事を深く感じ、今年は人生のターニングポイントだと決めました。 そして、自分自身を新たに革命し、人生の流れを変えて行こうと決意しました。 そのために、何か今までにやったことが無い事、又は挫折した事にチャレンジしようと決めました!

まずは仕事、私は自営業で仏壇の販売をしていますが、6年前よりインターネットで全国に販売するようになりました。商売はすべてお客様の需要、ニーズがどこにあるかを探し当てる事がとても重要です。ネット販売することで店頭販売よりも数多くお客様からの要望を聞くことも可能になりました。ホームページ内にはブログも設置していますので、日々のお客様からのメールの内容やご要望など含めてアップしていました。

このブログを動画仕立てにしたら、より一層お客様にアピールできるんじゃないかと考え、動画の研修などネットで探していました。 4月に沖縄に仕事で行くことになり、ネットで格安航空券とビジネスホテルのパッケージ商品を探し、ついでに前泊時の夕食場所など検索していると三線ライブ付きの居酒屋が何件も出てきましたので、楽しみにしようとしばらく検索、そして三線が2時間で弾けるようになります、三線体験など様々出てきました。そして呼夢三線店で三線合宿があることがわかり、内容をよく見ると三線合宿なのに、なんとIT研修、しかも動画を学ぶことができると書いてあるではありませんか、

57歳の私が三線を弾く?チャレンジをしようと、しかも動画が学べるという仕事上の大義名分もあり、家内に説明しやすくなりました。三線広め隊入隊セットをお願いし、始めて三線を手にした時の感動は、今でも鮮明に脳裏に焼き付いています! これが私の三線!恐る恐る竿を持ち構えのようなポーズをとる、そうだ弦のある楽器は調弦をしなければいけない、キーだとかなんとか全然わからない?大丈夫なのか?

隊長の上江田さんは上機嫌で、イヤー島さん楽しんでくださいね~と三線を持ちポンポンポンとピックで弾き鳴らす! 私は、今回の三線のチャレンジについては、 自分の感覚とか頭で判断しない事にしていました。自分の価値観とか判断で生きている事はとても重要です。しかしそれでは自分が変わることはありません。

呼夢三線広め隊


私の新しい自分の人生は、気持ちから入り、心で感じた人生を歩みたいと思っていましたので、まるで子供の様にすべて新鮮に素直に入ってきました。 当然指も動きませんし、初めてのてぃんさぐ花のメロディー、歌詞、意味も分かりませんでしたが、三線の音は自分の心の奥深いところまで響き伝わってきました。 なんとも言えないすばらしい音、心がどんどんリフレッシュしていくのが感じられてきます。 指が動かないのは当たり前ですね、だって動かした事無いのだから・・・ 隊長は100回もやったら指が勝手に覚えるから大丈夫だと言ってくれました 100回やらなくても、だんだん覚えて行きました。

理屈よりも練習したいと言う気持ちが、指先から脳に行くのかもしれませんね。 自分一人で何回も練習したい気持ちも強くありましたが合宿ですから、参加メンバーとの話、スタッフである真栄田さん、渡嘉敷さん とのお話もとても楽しく、そして貴重な内容だったりもします。 てぃんさぐ花と言う沖縄の有名な教訓歌で、親の教えは命に染めなさい と言う意味があるんです・・ そういう意味なんだ~ 三線の音がその深い意味合いを心に響かせて感じさせてくれるから、弾いているうちに心の底から感動と感謝の気持ちがわいてくるんだ。

あっと言う間の2泊3日でした。寝るのがもったいない、惜しい、朝の3時4時まで隊長、真栄田さんはお酒を飲みユンタクに付き合ってくれました。そして5時6時にはスッと起きて、合宿所まえの広場で三線の練習に熱中していました。 みんなで山の上で練習もしました、近くの食堂で初めて手びちも食べました。発表会では緊張しながらてぃんさぐ花を演奏、真栄田さんがギター、知花さんが太鼓で応援してくれました。演奏中は亡くなった母を思い出し、そして疎遠だった父を思い出し、そしてあふれる感動で自然に涙もあふれていました。

こんな新鮮でピュアな気持ちになったのは何十年ぶり?もしかしたらこの感覚は初めて? 57歳からのチャレンジ、動画研修も2時間ほど行て頂き、とても現実的な重要ポイントも理解し合宿も終了しました。 「またきます!」と 茨城に戻り、無性に父にてぃんさぐ花を聞かせたくなり数日練習してから実家に行きました。 皆さんは、自分の親に歌を歌ってあげたことがありますか? 私の素直な心は、83歳の父に「てぃんさぐ花」を三線と一緒に聞かせたいと思い、弟も呼び寄せて 実行しました。 父も弟も、私が歌い三線を弾いたものですから、とても驚きました 父から「一体どうしたんだ!」と  私は、ゆっくりと歌の説明、三線をはじめたきっかけ、理由など話すと父が「私にもできるかな?」と こちらがびっくりすることを発言しました。

私の話を聞き、83歳の父自らが三線をやってみたいと言うではありませんんか、さっそく沖縄の上江田隊長に電話、すぐつながりその旨を伝え、父と代わると「是非三線を教えて頂きたい!自分の先生になって欲しい」と隊長は「大丈夫さ~」と言われ 父も三線広め隊の入隊が決まりました その時の希望あふれる父の笑顔、10歳ぐらい一気に若返った様に私も弟もその表情の変化に驚きました。 私はすぐに父に三線をプレゼントしました 1週間後に三線が届き、それから毎週実家で父と練習が始まりました。 父が三線を手にした時の 素晴らしい笑顔 今でも忘れません。

呼夢三線広め隊

そして、6月の三線合宿に参加したいと決意した父でした。最近では車での遠距離も控えていた形でしたが、それでは羽田ではなく茨城空港から行く工程を下見し歩く距離も考え、できるだけ負担なく沖縄に行けるように、 そして、一日の移動距離が1650km以上になりますので、前泊し合宿後も後泊、4泊5日の日程でスケジュールを考えました 83歳と57歳の私は父と初めて親子二人旅、それが沖縄の三線合宿でした。 参加者、スタッフの皆様にはとても良くしていただき、本当に感謝しています。

また、出発に当たり弟の政彦もぜひ三線をやりたいと決意しましたので、私が初めて購入した三線をプレゼントし、親子三人で三線広め隊に入隊することができました。 私は4月に初めて三線を手にして、ほぼ毎日 練習しています。 てぃんさぐ花、安里屋ユンタ、デンサー節とほぼ暗譜し演奏できるようになりました。 今は 肝がなさ節を練習しています。

三線を始めてから、毎日の生活が非常に豊かな実りある、そして心が解放されとても自由で新鮮な気持ちで毎日前向きに生きています 仕事でも、新しい発想と実行とが繰り返され、今年は新たな仕組みを構築し実行に移しています。 自分がすっきりと新鮮に毎日感動しながら三線と共に生きて行ける幸せ、これを世界の皆様に広げて行ける人生に私は感謝しています。

茨城の古河市の地元を中心に特に関東の広め隊の皆様とも楽しいイベントを作り共有しながら、10,000人のてぃんさぐ花ができるまで、 心の健康、体の健康、経済の健康の三拍子をしっかりと整えながら、楽しい人生を、三線の力をこれからも広めてまいりたいと思います。最後まで読んでいただきありがとうございました。

私の直感力は冴えていた


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