松尾秀樹

沖縄移住が切っ掛けで三線を手にした・・・の巻


三線が切っ掛けで、呼夢三線広め隊との出愛があった。


呼夢三線広め隊

はいさい!呼夢三線広め隊の上江田武信56歳です。
南国沖縄でも日に日に朝夕の涼しさに秋の気配を感じています。

私は、呼夢三線広め隊に入隊したい、入隊した人たちに口癖に言っていることがあります。

たかが三線、されど三線。我々はさらに三線を目指そう!


と。
上手くなる、プロを目指せ!ということを言っているのではありません。

三線が切っ掛けで、モノの豊かさから心の豊かさを感じることや人生のBGMを奏でることが出来る、自分の物語にいつも沖縄の歌がある。その唄を口癖にすると心が豊かさに気づく。

三線が切っ掛けで、素晴らしい仲間が全国に、海外にもいる呼夢三線広め隊との出会いがった。今まで出会ったことがない素晴らしい出会いですと、口々に報告してくれる人たちが増えてきた。

呼夢三線広め隊


三線が切っ掛けで、恥をかく訓練を始める人たちが増えてきた。はい、YouTubeスクリーンデビューです。私は、沖縄の音色を世界一発信していると自負しています。しかも、下手な歌・三線を。

でも、もし、私がプロのように上手くて、教え上手で、そんなスタートラインからYouTubeに投稿していたら、500万回も再生されなかったと思います。5000人のファンもいなかったと思います。

私は、三線を始めた頃、唐船ドーイが弾きたくて、三線教室へ行きました。振り返ると当たり前ですが、誰も私に唐船ドーイを教えてくれる先生はいませんでした。

5年早い、〇〇から練習しないさいと。今なら理解できますが、誰もその志を認めてくれる人はいませんでした。

だから、私は自己流で、リズム感もない、歌と三線が外れているけど少しでもその楽しさを伝えたくて動画をアップし続けました。

だって、唐船ドーイが弾ける=三線が上手
そんなイメージが私の中にはありました。(笑)


私が三線を手にした時のイメージ
1年後にはヒヤミカチ節、唐船ドーイ、嘉手久が弾けている、周りの人を踊らせている。

てぃんさぐぬ花、安里屋ユンタを練習しながらそんなことばかり考えていました。

そして、三線をはじめて半年後ヒヤミカチ節が弾けるようになりました。

しかし、LIVEで初披露。


あの頃は、まだ横浜と沖縄を行ったり来たりデキル、今よりは経済的にも恵まれている時でもありましたが、経済が悪くなる前触れと心の豊かさがどんどん増していく、今までに感じたことがない前触れを感じる経験をしていました。
1人単身赴任で5LDKのオーシャンビューに一人で住んでいました。あのステータス、もう一度越えようと思います。

あの頃から今もいつも応援してくれる宮城カオルさんのチャンネルはコチラです。

さて、本日の本題。
沖縄移住して、その男は三線を手にした。三線を手にして、YouTubeを見たら、私や呼夢三線広め隊という楽しい仲間が募るサークルを見つけた。

言うまでもありません。初めて会った時に石垣島の武岡さんも一緒だったので、空撮、初三線、はい、初めて会った仲間と初めての再会の物語をYouTubeに記録しました。

言うまでもありません。三線が切っ掛けでYouTubeで沖縄の魅力を伝えようと私をサポートしてくれている一人です。

継続の継続は歴史となる



唐船ドーイの練習をはじめた松尾秀樹 三線歴4か月。
そんな男が恥をかきかき、汗もかきながら楽しそうに唐船ドーイを始めると公に公開した動画を見つけました。
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